朝井リョウさんの『もういちど生まれる』を紹介します。
登場人物に親近感を抱く
もう一度読みたくなる
構成が面白い
【概要】もういちど生まれる(著者 朝井リョウ)
タイトル:『もういちど生まれる』
著者:朝井リョウ
収録内容:「ひーちゃんは線香花火」・「燃えるスカートのあの子」・「僕は魔法が使えない」・「もういちど生まれる」・「破りたかったもののすべて」
朝井リョウさんの短編、群像小説です。
【こんな人におすすめ】もういちど生まれる(著者 朝井リョウ)
・学生
・他人の思考を知りたい、興味がある人
各話、20歳前後の学生、予備校生が主人公です。
自分が思うようにいかないことに向き合っている姿に共感できると思うので、同年代の方々に読んでほしい作品です。
この小説を読むと、他の誰かから見える自分についてと、自分が思っている自分についてに違いがあることに気づきます。
そして自分が見つめている先の人、ものが振り返ってくれることの難しさ、視線が合わないことのもどかしさも感じます。
その一方でこうゆう風に考えてくれる人もいるんだと気づくきっかけになる小説だなと思いました。
読んでいると各話の主人公たちにはどこかに自分がいるような気がします。
同じこと思ったことがあるなと共感し、自分の代わりに叫んでくれているようなそんな気がする小説でした。
【あらすじ・感想】もういちど生まれる(著者 朝井リョウ)
ひーちゃんは線香花火
汐梨、ひーちゃん、風人は同じ大学に通う友達。汐梨には付き合って1年になる彼氏(尾崎)がいる。
友達でお泊り麻雀をしていたときに、汐梨は誰かにキスされた。
好きになってはいけない人をを好きになったときどうすれば良いのか・・その答えは。
好きになってはいけない人を好きになったとき…それを告げるのか、逆に告げられたらどうするのか・・考えさせられます。
『もういちど生まれる』の1つ目の短編ですが、すべての話を読み終わった後にそうゆう関係かと、より味わい深くなるお話です。
燃えるスカートのあの子
偶然講義で一緒になった映画サークルに所属する礼生に”1番大学生っぽい”と評された翔太は、同じ大学に通う椿に片思い中。バイト仲間のハルから椿のことを聞いたり、友達と協力して椿との距離を縮めようと奔走している。その思いは果たして椿に伝わるのか。
この話に登場する翔太は自分は何者かになれると思っている人間が苦手と言いつつ、礼生やハルとも仲良く人付き合いが良い印象を受けました。人付き合いが良いところが、THE大学生というイメージにあたるでしょうか。
周りから見える誰かと話しているときの翔太と、本人の心の声との間にギャップを感じました。
でもその翔太のキャラクター故に、ラストが少しくすっと笑えてしまいました。
この短編集の中でも1番お気に入りの話でした。
僕は魔法が使えない
「自分が向き合いたいと思ったものを描くことが一番良いよ」
まるで魔法を使うように絵を描くナツ先輩からのアドバイスを受けた美大に通う新は、誰かと待ち合わせをしていた女の子にモデルになってくれないかと声をかける。
新は絵を描くことを通して自分が向き合いたいものに向き合っていきます。
心のどこかでどうにかしたいという気持ちがあったのではないでしょうか。
その一方でアドバイスをしたナツ先輩自身の葛藤もこの話からは見て取れます。
ナツ先輩の葛藤も肌に感じていた新は、ナツ先輩のことを本当に尊敬しているのだなと感じました。
この「僕は魔法が使えない」というタイトルはこの後の話にも響いています。
この短編集の中で初めて読んだ印象と一通りこの短編集を読んでからもう一度読んだ後で一番印象が変わる話だと思います。
もういちど生まれる
双子の梢と椿と小さいころよく入れ替わりをしていた。気づいたのは幼馴染の風人だけ。
高校生になると付き合う友達も変わり自然と入れ替わることを辞め、20歳になった今、椿が大学生活を満喫する一方で、梢は予備校の既婚者の先生に恋をしている。
「燃えるスカートのあの子」に登場する椿の双子の姉妹、梢が主人公のお話です。
この話のタイトルが短編集全体のタイトルにもなっています。
椿とは違い、思うようにいかないことが多い梢の、ささやかだけど、とても重要な思いー。
ラストの梢の大胆な行動が、梢の明るい未来に繋がれば良いなと思う作品でした。
破りたかったもののすべて
ハルは高校を卒業後、ダンスの専門学校に通っている。高校生の頃はロックダンスのダンスバトルに出て一目置かれる存在だったが、専門学校ではなかなか上手くいかない。プロのダンサーを目指して無我夢中に努力をしている…つもりだった。
本当の私を見てというハルの心の叫びにハッとさせられる作品でした。
自分が好きなこと、努力していることでも思い通りにいかないこと・・・たくさんあります。
ハルがこの後、どう変わっていくのか続きを読んでみたいと思いました。
「凄い」という言葉に考えさせらる作品でもありました。
「凄い」は素直に「凄い」と思ったから、「凄い」と言うのだと思います。それこそ、この話に出てくる翔太のように。
でもそこには比較対象、基準があり、それは発言者によってバラバラであるということに気づきました。
当たり前のことなのですが、特に意識をしたことないなぁと。
そしてその「凄い」が人の人生を変えることがあるのか…と。重い言葉なのかなとも考えましたが、そんなことはないですよね。
やっぱり、「凄い」は素直に「凄い」と思ったから、「凄い」と言うのだと思います。
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